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レタッチ否定は写真そのものの否定。

オンラインで業界関係のフェアをやっていたので作業をしていながら流していました。

ある有名な方が、「撮って出し」を熱く語っていらっしゃしました。
現代のレタッチを批判されてCG大会と揶揄され、デザイナーにいいカメラを持たせると的なことまで仰っていました。
その方の考え方なのでそれを否定は致しません。(ちょっとデザイナーさんに失礼かとは思います、あとCG制作者にも)
人それぞれ流儀というものが有りますので、大いに結構。

ところでこの方、写真の生い立ちご存じなのでしょうか?
それは1839年に絵を描く為の道具として生まれました。
なので、英語ではどちらもPictureと呼びます。
アートという観点で考えた時、たとえば風景画を描くのに落ちているゴミまで描きますでしょうか?
不要なものは描かず、自分の心で見た色で描くと思います。

アンセル・アダムスがモノクロ・フィルムで作った作品は、まさに絵です。
焼き込みや覆い焼きといった現像テクニックを駆使し、信じられない階調でプリントされています。
世界中のフォトグラファーがその現像テクニックを教科書にして学びました。
レタッチを否定される方は、こんな写真の歴史はご存じなのでしょうか?

海外のフォトグラファーと日本国内のフォトグラファーの一番大きな違いはアートとして捉えるか、写真と捉えるかの違いです。
それがギャラや社会的地位にまで影響を及ぼしているとしたら、また国民全体の誤った文化の継承に繋がっているとしたら、簡単に「人それぞれ」と言ってしまうのも、罪な事なのかも知れません。
デジタル技術否定派の人には是非、アンセル・アダムスのオリジナル・プリントを見て頂きたいと思います。
私は若い人たちには、自ら手かせ足かせをするのでは無く、自由に開かれた世界に羽ばたいて欲しいなと思います。

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