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コンペ開催にかけた想い。
日本にもこんなのが有ったらいいのにな。
それが始まりでした。
それはWPPIのプリントコンペです。
公開された場で1つの作品を5人のジャッジが意見を戦わせ批評するそれは最高の学びでした。
批評は点数化され他者と自分の立ち位置を理解させてくれました。
多くのコンペ(コンテスト)では審査は非公開。
なぜ入賞したのか(しなかったのか)は解らず結果だけが知らされます。
これでは学びにする事は難しい。
この差はそこで活動するフォトグラファーの差になってしまうと感じました。
私は脱サラして40歳でこの世界に入りました。
思い描いていたものと現実は大違い。
写真館の倒産に廃業するフォトグラファー。
食べて行けない職種である事を目の当たりにします。
未来の子供達に再びフォトグラファーを夢の仕事として残したい。
いつしかそう思う様になっていました。
そんな想いを共有できた友人とフォトグラファーの勉強会を始めメンバーは40人を超えました。
しかし、その想いを伝える事は難しい。
逆に失意を学びました。
でも想いは変えられず、その一つの手段として国際コンペ自国開催の必要性をいろんなところで訴えていました。
話を聞いて力になってくれた人たちとどうすれば実現できるか連日話し合いました。
しかし、その実現の前に横たわる課題、難題に離れて行った友人もいました。
そんな時に話をきいていて手を上げてくれたのがF社長で今回のNAPAプリントコンペでした。
突然の話に許される時間を考えるととても足りません。
とにかく、思いついたことを都度お伝えし、私のできる範囲で最大限の協力をさせて頂き、募集・公開となりました。
コンペの運営にはマンパワーが必要です。
スポンサーやボランティアを名乗り出てくださる方もいらっしゃり涙が出るほど感激しています。
ただ、なにぶん全てが初めての事。
いろいろと批判もいただいております。
無報酬で手伝っているから何をやっても無罪とは思っておりません。
関わるからには批判も甘んじて受けなければならないのは当然です。
建設的な批判は大歓迎します。
より良いものに出来ますもの。
このコンペから学びレベルアップしたフォトグラファーがWPC(写真のワールドカップ)で日の丸を掲げてくれるなら、こんな幸せなことはありません。
かつて人生50年と言われた時代が有りました。
それを思えば私は2度目の人生を歩かせてもらっています。
それを理解した時、決めました。
今までは自分勝手に自分の為に生きてきました。
自分の為だけに生きることのなんとむなしいことか。
人の為に生きるから人生は輝く。
これからは人のために生きよう。
それを行動原理に決めました。
私が見てきた世界はほんの一部ではありますが、良いと思うものは少しでも多くの人に薦めたい。
幸せを分かち合いたい。
もっといいものがあるかも知れません。
でも悩んでいる時間はありません。
自分が能動的に動くことが出来る時間は、せいぜいあと15年。
その間にせめて何かきっかけを、波紋を広げる事ができれば…
たとえ私が出来なくても、その意志は残り継いでくれる人は出てくるかも知れません。
こんな風に書くとまた、「きれい事言う奴は信用出来ない」などと批判を受けるかもしれませんが、私は自分を好きになれる生き方をしたいのです。
そして、この国を護り残してくれた人達から向こうへ行った時に「よくやった」と一言褒めてもらいたいのです。(^^)