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泥の中に咲くハスの花

私の仕事は写真を撮って、買って頂く。
これが、ビジネスの中心にありますが、写真を教えると言う事もやっています。

その多くは同業他社。
個人もあれば、会社もあります。
依頼を頂くのは主に「海外フォトコンペに挑戦したい」というもの。

撮影の仕方、レタッチの仕方を教えて欲しいというものが多いのですが、それらはみなさんプロなので、少し伝えただけで習得される方もいれば、基礎がまるで理解出来ていない人まで様々です。(それでプロなの?というツッコミは現代社会では通用しません。w)

でも本当に1番大切なことは、「何を人に伝えたいか?」です。
そしてそれを具現化するには、どんな技術的課題があるか?
それをどう解決するか?なのです。
それが、強いては普段の仕事に大きな役割を果たすのです。

海外のフォトグラファーはこの部分がしっかりとしている人が多く、その撮った写真をどうレタッチするかという事が私の仕事になるのですが、日本のフォトグラファーの場合、この柱となるべき部分が欠如している人が、非常に多いのです。

そして、コンペに挑戦する理由がブランディングの為と言う人がほとんど。

私が参加を決意した時は、海外の作品に触れ、自分が「この素晴らしい作品の中でどう評価を得られるか?自分も彼らの中に入りたい!」というところでした。
そして、それはすぐに「これは大きな学びが得られる!」と理解し続けました。

それからは、高く評価される作品にあって自分に無いものを探し、マスター達のセミナーにも参加し、ラスベガスへも行って、技術を磨きました。
日本にそういう人が居なかったから仕方ありません。

マスターという肩書きを、私は現在5カ国の団体から授与されています。
このマスターという称号は、コンペの実績のみで授与されたものです。
しかし、中には日頃の仕事や会に対する貢献度などで、マスターを与える団体もあります。

前者と後者の違いは、前者は写真というメディアに、より芸術性を求め業界や社会の発展を願うもの。
後者は業界を守るための活動を主とし、一定の水準を保つことを目的としている様に感じます。

どちらがコンペとしてレベルが高いかは、両方に所属する人達が語っているので、私からは申しません。
いずれにせよ、実力だけでマスターを勝ち取ったフォトグラファーは日本には現在、私だけしかいないと言う事です。
それで、私を頼ってくる人が後を絶たないのは仕方がないのかも知れません。

日本の写真界がより高みに昇るために、よろこんでお教えしていますが時には空しくなる事もあります。
たった1度私の話を聞いただけで、自分が見てきた事の様に講師となって話をする人や、たった1度入選しただけで「ありがとうございました。もう教えて頂かなくて大丈夫です。」と、さよならする人。
そんなに簡単なものじゃないのに、上辺を見ただけで深層まで理解したような錯覚を起こしてしまうのです。

私は誰に教える時も、必ず色の管理の話しから入ります。
当然、モニターの重要性は言うまでもありません。
「解りましたモニター買います!」
プリントを自分でする事の重要性も伝えます。
「プリンター買って自分でやります!」
私をただ消費した人たちは口先だけで、結局どれもやりません。
彼らにとって重要なことは、自分が成長することではなく、いかにブランディングし利益に繋がるか?なのです。

問題はさらに、そうしたブランディング上手な人をメーカーやイベント主催者が数字欲しさに、重用してしまうことです。
見る目をもったフォトグラファーは、しらけムードでイベントから足は遠ざかる一方です。
イベントには見る目も無い、素人同然の名ばかりのプロばかり。
果たしてこれで、消費者に対して利益となるのでしょうか?
本当に私たちがやるべき事は、こんなことなのでしょうか?
この話に対し耳が痛く感じた人には、改めて自分に問うて欲しいと思います。

私は現在、来年東京で開催される、国際写真団体のイベントを起爆剤とし、日本の業界に変革をおこすべく動いています。
全ては未来の子供達のために。

いろんな事に心折れそうになりますが、諦めずに歩き続けます。

煩悩や俗世の予惚れの中で、染まらずに清廉で潔く美しく生きる人物を象徴した言葉が「泥の中に咲くハスの花」と言える。
と空海はおっしゃったそうです。
まあ、自分が美しいとは思わないけれど、そうんな風に生きたいと思います。

泥の中に咲くハスの花

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