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AsiaWPA ジャッジ就任のお知らせ

 この度、香港に拠点を置く国際写真団体 AsiaWPA のジャッジに就任致しましたので報告します。
この場を借りて、団体を築き護ってきた役員やジャッジの人達にお礼を伝えたいと思います。
有難うございました。
また今の私がいるのは私だけの力ではありません。
応援してくれた友人やお客さま、競い合ったライバルに、手本となってくれた先輩達やマスター達。
そして心身ともに支えてくれた家族がいたからです。
皆さん、本当にありがとうございます。

私がAsiaWPAのコンペに挑戦を始めたのは2018年でした。
前年の秋にWPPIに初挑戦し、当初はこれだけのつもりでしたが友人達より、今後を見据えると「アジアでも知名度を上げる必要がある」と助言され応募を始めました。

その後、その論理で言うならヨーロッパも必要と、丁度立ち上がったフランスのWPEに応募をはじめました。
次にイタリアのEPAより、誘いを受け応募を開始。
ギリシアのCOMOSが尊敬するマスター達により立ち上げられ応募をを始めました。

最初にマスターの称号を勝ち取ったのはWPEで、それと同時にジャッジに就任しました。
次にEPA、そしてWPPI、COSMOSとマスターを取りました。
最後に残ったのがAsiaWPAです。

マスター獲得条件に、どの団体にも共通するのはポイントです。
ポイント数に違いがあったり、年間の制限があったりと、違いはありますが、AsiaWPAは年間表彰で授与されるメダルの数も加わるので難易度で言えば1番難しいとも言えました。
その様な訳で、5つの中で最後となりましたが今年の1月の年度表彰で、最後のマスターを取るに至りました。

ジャッジの就任について実は、昨年打診がありました。
しかし、ジャッジに就任するとコンペへの参加はNGとなり、マスター獲得は出来なくなってしまいます。
それで、役員達に「マスターを獲得できるまで待って欲しい」と伝えました。
彼らは言いました。
「多くの人から、どうすればジャッジになれるんだ?とメッセージが届きます。中にはいくら支払えばいいのか?と言う人までいます。もちろん、そういった事は一切受け入れて来ませんでした。ジャッジはそれほど憧れの存在です。なのに君は誰もが欲しがるジャッジの椅子を君は断るのですね。」
と笑っていました。
でも私は、マスターを取って、ジャッジという順序を自分で決めていたので、それを変えたくありませんでした。
それで彼らには「必ず来年、マスターを取ってみせるから、その時はジャッジ就任をこちらからお願いします」と伝えました。
内心ではヒヤヒヤしていましたが、無事マスターを取得できホッとしました。
ジャッジ就任は日本人独自の感性を海外に伝える1番効果的な方法と考えていたので、本当に良かったです。

実は、私は他にも決めていたことがります。
挑戦している5つのコンペ全てでマスターを取ったら、コンペの応募は一旦終了とし、私が本来やらなければならないと思っていた作品を作ることに戻るという事です。

先の大戦後、世界は戦勝国を中心に安定していたかに思えました。
しかし、そんなものは夢のまた夢。
世界は常に戦火に見舞われています。
国連理事国が侵略戦争を始め、安全保障は完全に崩壊してしまいました。
そんな中でも、日本は建国以来2684年続く、世界最古の国に変わりはありません。
それは王朝が変わらなかった事を意味します。
こんな国は世界中探しても他にありません。
私は、日本人だけが持つアイデンティティーが、世界平和に繋がる気がしてなりません。
戦争を始めた指導者達が、自分達のした事の愚かさに気付き、戦争を止める、そんな作品を作りたいと以前から考えていました。
再び、その世界に戻ります。

さて、コンペですが完全に止めてしまうと、それは良く無いと感じます。
なので、テニスで言えばグランドスラムの様な、ジャッジをしている人達が応募するコンペだけに絞って続けます。
実際、今まで1stHalfが終わるとすぐ次の2ndHalfが始まり、1年中作品を作ることを思考してきました。
それが、無くなった途端まるで燃え尽き症候群の様に、気力が無くなってしまい、抜け殻の様になってしまいました。
5年余り続けて来た事を変えるのは、簡単では無い事を実感しました。
今後は、ペースを確認しながら、ライフワークとしての作品づくりと、コンペを並行してやっていきたいと思います。

今、日本のポートレート・フォトグラファーの世界は大きく変わってきています。
世界に目を向け、挑戦をする人が若い人を中心に増えています。
また、昨年あたりからニューボーンなどを専門とした人も、世界で活躍し始めました。
かつて、世界に憧れをもっただけの状態から、1位を狙いにいっている状態に、日本は変わったのです。

「未来の子供達に、フォトグラファーという仕事を夢の仕事として残したい。」
そう思って頑張ってきました。
私は彼らの目標となることが出来たのでは無いかと思います。
そういう意味で、1つの目標は達成しました。
次の目標は果てしなく遠いものですが、次の世代に受け継いでもらえると期待して、やり続けたいと思います。

誰に強制されるでもありません。
なぜか、それに突き進むべきと思えてしまうのです。



 

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